8・30 回想録【二束のわらじ】

かくして、秘書業への転身が決まったわたしは正式採用の3月を待たずして後援会幹事として動き始めた。

親会社への引継ぎとともに、一番気を使ったのは従業員22名の今後の雇用の確保。
親会社からの一方的な請負契約の解除だったため、嘱託というかたちではあるが、そのまま当社社員の受け入れを快諾してもらい一件落着。
(ただこの後襲った大不況により1年後には彼らは無念にも職を失うことになる)

今思えば、会長監査で指摘されなくても、早かれ遅かれわが社の運命はこうなることが決まっていたのであろう。
そういう意味では、皆が口々に言う「早く決断してよかったね」というのもうなずける。

朝、会社の仕事を済ませて、事務所に作業服のまま出勤。
そして、車内につる下げてあったスーツに着替え、こちらの活動。
他の秘書と同じようにBOSSを乗せて車を運転し、会議にも出席していたから、むしろ後援会活動というよりも秘書稼業に近かったかもしれない。
そして、また夕礼に間に合うように、作業服に着替え会社に戻る。
この間、納品異常が発生したり不良品が出たりして2足のわらじは本当に辛かった。

「最後の家族サービスになるかもしれないから!」と申し出て、無理を言って正月に3日間休みをもらい沖縄旅行に行ってきた。
・・・、「ん?」でもこの時は、まだ正式採用ではないボランティア扱い。
「今後お世話になる事務所だから」と思い、スタート前から土日もなく猛烈ダッシュした。

なにせこの世界はド素人。

「お疲れ様!俺、先に帰るけどComma君も早く帰りなよ!」と言って事務所を出た同僚を見送り、そのまま事務所に居続けること数時間。
専門用語や仕事の流れさえも分からなかったので、あらゆる資料を引っ張り出して目を通した。
そして分かったことは、社長自身が落下傘だったため、他の事務所とは違う事。
「こりゃ大変だぞ」と実感。

日中はお隣の歴史のある事務所や県連に聞いたり、夜は夜でインターネットで情報を収集。

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