連合艦隊司令長官「山本五十六」

連合艦隊司令長官「山本五十六」本日は午前中に健康診断、午後は昨年末に行った視察の報告書作成、その後、地元から改善要望をいただいていた案件の現場調査に行ったりとなかなか忙しい日だった。

食事をしたあと、たまにはゆっくりしてもいいかなと思い、サンストリート浜北に連合艦隊司令長官「山本五十六」の映画をみに行ってきた。

我が家から車で5分、末娘を寝かしつけてからでも十分行けるレイトショーは通常1800円のところ1200円。
これで2時間半楽しめるのだから、かなりリーズナブルだ。
おまけにまわりを見まわたしても、あの広い劇場内にどう見ても10人のお客さんがいるかどうかといったところで、ゆったり。

さて、その山本五十六、最も映画的には絵になる部分「真珠湾攻撃」が大幅にフィーチャーされているかと思ったら、これが意外に簡単にスルー。

それもこの手の映画には不可欠の外国人キャスト(米兵)は一切出てこない。
全体的に、山本五十六の考え方、人柄を表す会話シーンが多く、戦争映画にしては戦闘シーンが少なかったように思う。

映画や大河ドラマで、歴史上の人物がクローズアップされるとどんな人物かも分からずに惚れてしまう日本人。
そういえば、先日も某ワイドショーで総理大臣にふさわしい歴史上の人物は誰ですかというインタビューに山本五十六という名前が挙がっていたのを思い出した。

アメリカとの国力の差を認識し、いずれ戦争に突入したならどうなったか先見性があった山本五十六。
日米開戦に猛反対しながらも、この大戦の口火となった真珠湾攻撃に深く関わるとはなんと皮肉なことであったか。

苦境に喘ぎ、その打開策を満州に求めていった昭和初期。
総理大臣は次から次へとかわり、政府もマスコミも国民も間違った考えのもとに団結した時代であった。
(不況であり総理がよくかわるのは現在と似てますね)

家に帰ってきて復習をしようといろいろネットで調べたところ、映画の内容といくつか違う説もあるらしい。

例えば、彼が死する原因となった前線視察のシーン。
映画では、自らが現地に赴けば兵隊が喜ぶであろうとすすんで行ったとされているが、後方の戦艦「武蔵」で指揮を執ることを望んだ五十六を宇垣連合艦隊参謀が強く説得し連れ出したという説もある。

余談だが、五十六という名前は父が56才の時に彼が生まれたからそう命名されたらしい。

国が狂喜乱舞し、ひとつの方向に向かって進んでいる中、彼は先を見据え、このまま日本が戦争に突入していったらどうなるのか見えていたのは事実であり、開戦後も講話(和平)の道を望んでいたのである。

話はかわるが役所広司の演技はさることながら、米内光政役の柄本明の俳優としての独特な味に大変感銘した。

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