思わずウルウルした!

思わずウルウルした!僕が生まれた町、井伊谷はある意味特殊な町だったかもしれない。

住んでいたものにとっては当たり前だったが、普通の町にはない物珍しいものがいっぱいあった。

煙をモクモクと吐く2本の巨大煙突。
延々と続くトロッコ。
そして二俣線につながるいわゆる「引込み線」と呼ばれた黒い貨車。

親父は、これらの所有者である住友セメントの研究室に勤務していた。

今考えればかなり危ないことであったが、ガキの頃にはこの工場の中に潜入したり、貨車が置いてあった線路で遊んだり、白岩の橋の上からトロッコに石を投げ入れて遊んだりした。

小学生の頃には、灰色一色に染まったこの工場の絵を描いて賞状ももらった。

我が家の屋根に白い灰がへばりついていたことを考えれば、かなりの公害だったろうと思う。

わたしは小学生の時、嫌々そろばん塾に通っていた。

時々塾の奥から出てくるオヤジが、小学生の私にはすごくうるさく映った。

実は、この矢野さんという方、先日お亡くなりになったのだが、このオヤジさんのおかげで、さっきからどうもウルウルしっぱなしである。

昭和の時代を撮りだめた記録。

人物を撮ることはあっても、なかなか風景だけを撮影することはない。

そして、その息子さんがこの写真をVTRにし、YOU TUBEにアップしてくださったらしい。

井伊谷で育った者ならお世話になった町民会館やそのとなりの駄菓子屋。
そして、井伊谷の歴史には欠かすことの出来ない住友セメント。
(現在はここにスズキ精密工業があります)

驚いたことに、駄菓子屋の様子は動画びっくり

さすがに物心がつく前は全然記憶にないのですが、今はもう見ることの出来ない風景に当時の思い出が重なって、とってもノスタルジックうわっ

http://www.youtube.com/watch?v=7BDGEUgnxLA

川を挟んですぐそこが工場だっただけに、この風景は忘れられない想い出。

ちなみにうちのオヤジは、軽トラのお尻と貨物が接触したことがあるようで、横に一回転し、高架の上でやじろべえ状態になったそうだ。(少しでも動いたら転落したかもね)


今は当たり前の近所の風景。

町には新しく来るもの、そして残念ながら去るものがあり、常に変化している。

子供たちの想い出は、私がそうであったように風景と一体化している。

「定点撮影などしてみようか!」なんて、思ったりしている今日この頃。

この記事へのコメント :

@@keith
この町にお世話になって、私も四半世紀ですから故郷の様な所ですね。
小学校のころは、ボーイスカウトでよく渋川まで出掛けた際、セメント工場の煙突をいつも見上げていた記憶があります。
最近は交通安全ののぼりを持って、よく井伊谷の国道に立ちますが、子供たちの元気な挨拶に心を清められています。
その都度、子供たちにとって何時までも良い環境であって欲しいと思っています。
2010年09月03日 18:54
かんま
キースさん

母校の児童たちをお褒めいただいてありがとうございます。
伝統的に井伊谷の子供たちはしっかり挨拶ができます。
キースさんとうちの子供が通うM南小学校の子供たちもそうですが・・。

「強く」「正しく」「美しく」
「思いやりの花とがまんの花を心の中に咲かせよう」
いまだに当時の校長先生の作ったスローガンが頭に浮かびます。

キースさん、ちなみにこの校長先生んちのお嫁さん、今わが校にいらっしゃいますよ!
2010年09月05日 05:44

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