音楽歴(社会人編 1)
卒業して浜松に帰りわたしは某信用金庫に就職した。
仕事のかたわら、全国大会常連団体「Hamamatsu WILDWINDS」というマーチングバンドに参加。
それと同時にこれも超凄腕プレイヤーが集まるブルーノーツジャズオーケストラに入った。
独身時代、時間はいっぱいあったので様々な団体に対して八方美人になっていたら、気がつけば「Vanguard Jazz Workshop」や会社のバンドのメンバーになっていた。
最大で同時期に7バンド加入していた。
土曜の日中は会社のバンド、夜はブルーノーツ、日曜朝一から夕方までワイルドウインズ、そして飯を食う暇もなくヴァンガード、ワイルドウインズの平日練習も含めると一週間で20時間以上も楽器を吹く毎日。
おかげでラッパはビンビン。
おそらく当時が一番絶好調でだったにちがいない。
結婚を機に、いくつかバンドを整理したが、辞めても辞めても次から次へと助っ人の依頼がやってくる。
「どうしてもさあ、その日仕事の関係でリードラッパいないんだよね。まさか先輩の頼みはいやって言わんら~?」
先輩からの脅迫じみたお願い。
「Comma君、今度ダンパあるんだけどさあ、練習は直前だけでいいから手伝ってよ~」
仲人のT氏からの誘いは断るわけにはいかない。
トラのつもりが気がつけばレギュラー。
わたしはラッパの一番高い音域を吹くパートのため、ある意味では専門職。
そもそも、このてのプレイヤーは浜松には少なかった。
その他、母校や市立高校のマーチングのコーチをやってみたり、マーチングの大会の審判員をやってみたりジャズとマーチング両刀使いの日々。
余談ですが、わたしがコーチを引退した学校は翌年あたりからがんがんうまくなり全国大会に出場します。
大学時代教えていた嘉悦女子中・高校はそれ以来全国大会常連ですし、市立のマーチングバンドも2度目の出場を果たしました。
私の指導が良いのではなく、後任選びの目がいいのだと自負しています。
コンピュータの一時ファイルみたいなもので放っておくとどんどん増えるバンド数。
心を鬼にして引退宣言をするものの、気がつくとまたどこかに名前が入っている。
そんな数年が続きとうとうバイオレットブラスを立ち上げることになるのです。
・・・次回へ続く